大学卒業後もクラブチーム、日本代表でも大活躍されていたわたさん。ラクロスを長く続けた理由や、結婚について伺いました。
1999年~ 日本体育大学ラクロス部に所属
2003年~ 社会人ラクロスチーム「Sibylla(シビュラ)」に入部。
2005年、2009年、2013年:ワールドカップ出場
2014年~ 社会人ラクロスチーム「CHEL」に移籍。
2018年~ Sibyllaに再度所属。
2018年のリーグ戦を最後にラクロスは休止中。
――およそ20年にわたってラクロスを続けてきたわたさんが、今までのラクロス人生で印象に残っていることTOP3を教えてください。
【第3位】2013年ワールドカップ 同期の友人がヘッドコーチに
2013年ワールドカップに向けての人事発表で、同期の友人でもある長岡良江さんがヘッドコーチをつとめると知った時の衝撃は今でも覚えています。
定期的によく飲みに行っていた仲間の一人でしたし、社会人ラクロスでもライバルチームとして何度も対戦していたり、人事発表時に関東ユース選抜のヘッドコーチを私がやっており、経験豊富な良江にサポートをしてもらっていたこともあり、まさかヘッドコーチになるとは思ってもいなかったです。良江がヘッドコーチだと知って、正直どうやって代表と向き合えばいいのだろうとモヤモヤしていました。それまでの4年間、私にとって最後となるワールドカップのためにトレーニングをしてきましたしやるしかないと思っていたものの、不安が勝っていたんです。そんな初練習の前夜に、良江から電話がかかってきて、「友達だから選ばれたなんて思われないくらい、誰もが認める絶対的な存在で選ばれてほしい。頼んだよ!」と言われたんです。今まで本人に伝えたことはありませんが、この言葉ですべてのモヤモヤがすっと無くなり、「よし!頑張ろう!!と思えたことは忘れられません。
【第2位】2005年ワールドカップ@アメリカ・アナポリスで5位になる
オールコートのゾーンプレスで戦うという戦術は当時日本しかしておらず海外の選手も初めての経験だったためか、たくさんボールを奪うことができ、PoolBでの予選を全勝で勝ち進みました。日本人の統一された動きに世界が驚き、とても称賛されたのを覚えています。(日本の技術は現在と比べると低くかったと思いますが)
この時の目標は4位以内だったため目標を達成することはできませんでしたが、4位以上を決めるカナダ戦は今でも忘れられません。最後まで勝てる点差で、勝てると思いながら戦えた試合でした。今まで全く歯が立たなかった国に対していける!と思えたことは大きな収穫だったと思います。(次大会である2009年のワールドカップではやはり個の力に圧倒され、全然歯が立ちませんでした……)
【第1位】2010年Sybillaが全日本選手権で優勝するまでの道のり
・関東クラブチームリーグ戦プレーオフ(VS FUSION)で前半終了時7点ビハインドから逆転勝利
・全日本選手権準決勝(VS 日本体育大学)延長Vゴールで勝利
・全日本選手権決勝(VS MISTRAL)試合終了2分前に同点に追いつき、延長Vゴールで優勝
プレーオフでは、7点差があるのに普通に逆転できるチャンスがあると思っている仲間に衝撃を受けつつも(笑)、チーム全体がその雰囲気に引っ張られた結果勝利した試合です。その年は以下の言葉を大切にしながらチームは勝ち進みました。
「ミスした時こそガッツポーズ」(←松岡修造の言葉)
「上手くないけど強いチーム」
「強いチームが勝つのではなく勝ったチームが強い」
「仲間のミスをミスにしない」
「泥臭く最後までボールを追いかける」
「諦めない」
負けたらシーズン終了の試合は、すべて大逆転、追い付いてからの延長戦で勝利しています。延長戦に入る前は必ず勝てる気がしていましたし、試合をしながら楽しくてしょうがなかったのを覚えています。
これらの試合は10年経った今でもすべての情景が目に浮かぶほど印象深く、かつ最高に楽しく、幸せな時間だったなと思います。
――大学入学から30代後半まで長きにわたってラクロスを続けていた理由と、離れた理由を教えてください。
<続けていた理由>
まず30代前半に続けていた理由は、2009年のワールドカップが終わった時(当時29歳)に次の2013年ワールドカップに出場するべく、2013年(33歳)までワールドカップを目指して第一線でやることは自分の中で決めていました。(2009年の日本代表には同期が3人いて、私以外の2人はこのワールドカップ後に結婚し、出産をしています)
2013年のワールドカップ後は、社会人になってからワールドカップを目指さずにラクロスをすることが初めてだったので、モチベーションを保つことが難しかったです。
ワールドカップを終えた頃には、以前Sibyllaが全日本選手権に出場していた頃に一緒に戦っていた同期や先輩、後輩はほぼ引退していて、戦績も低迷していました。そんな中で、「本気でラクロスをやれる時間はもう長くない。自分の好きなようにしよう。最後にもういちど日本一を目指せるチームでやりたい!」という思いから、11年在籍したSibyllaを離れることを決断しました。
この時期から日本のラクロスは大きな変革期を迎えていたと思います。世代交代もあいまり若い選手の技術が格段に上がり、海外選手の技術に近づいてきたと感じました。(これには大学チームのコーチに男子コーチが増えたことが大きく影響していると思います)2013年のワールドカップでは、若い選手との技術の差を感じながら同じチームメイトとして戦いましたが、もう勝てないと思う部分と通用するなと感じる部分、経験や知識でカバーできるところなど、ひとつひとつ感じながら代表活動を続けていました。
移籍する時に自分の中で決めていたのは、「1部リーグの試合で通用する部分が無くなったら辞める」、「引退する時は必ずsibyllaで」のふたつでした。社会人ラクロスチーム「CHEL」に移籍した年は関東クラブリーグで優勝したり全日に出場したりと、とても楽しい時間を過ごすことができました。その後、そろそろラクロスを離れる日も近いかな?と思い、2018年にsibyllaに戻りました。
<離れた理由>
1年間は選手として戦うつもりで2018年にsibyllaに戻りましたが、翌年からは選手ではなくてもスタッフなどで関われたらいいなと思っていました。移籍時点では入籍も具体的には決まっていなかったので1年でラクロスから離れるとは……。まさに想定外でした。Sibyllaに戻った年の秋に入籍をし冬に妊娠がわかったことでラクロスから離れ、今に至ります。
――38歳というご年齢で結婚し、よかったなと思う部分はありますか?
やりたいことを全てやってきたので、家事や育児によってやりたいことが出来ないというストレスや他人を羨ましく思ったりすることがあまりないことかと思います。
結婚するまでは、毎日のようにトレーニングをして、いっぱい居酒屋に行って、毎週末ラクロスして、いっぱい騒いで、いっぱい笑って泣いて、いっぱい走り、やりたい事は全部おなかいっぱいやりました!それくらい好きなことを全部してから結婚し子供が産まれたので、やりたいことを我慢して「家事があるからアレができない」「子供がいるからコレができない」というふうに感じることは全くないです。
現実的な話をすれば、旦那さんも同じ年でお互い独身の期間が長かったので、お金の面でもお互いある程度の貯金を持って結婚するのは、私の場合大事だなと感じました。また、やりたいことがある人は納得するまで打ち込んでから結婚や出産をすれば、色々なことへの不満やストレスは少ないのかなと思っています。現在は今までとは全く違う生活ですが、家事や育児をするのが楽しいです!
後編に続きます!
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